なぜシンガポールと日本の時差は1時間なの?
シンガポールと日本の時差は1時間あります。日本はグリニッジ標準時(GMT)+9で、シンガポールはGMT+8です。
しかしながら、シンガポールとほぼ同経度にある、タイ王国や、カンボジア、ベトナム、はたまた、シンガポールよりも東にあるはずのインドネシアのジャカルタにおいても、GMT+7(日本と2時間の時差)を使用しています。
シンガポールの東経は約103度です。日本は135度が使用されていますので、その差は30度もあります。つまり他の国の方が地理的には正しい気がするのに、なぜ時差が1時間しかないのでしょうか。
シンガポール時差の変遷
こちらの記事を参考にシンガポール時差の変遷を見てみます。
http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/timezone.html
適用開始 | 適用終了 | GMT |
1905年6月1日 | 1932年12月31日 | +7時間00分 |
1933年1月1日 | 1941年8月31日 | +7時間20分 |
1941年9月1日 | 1942年2月15日 | +7時間30分 |
1942年2月16日 | 1945年9月12日 | +9時間00分 |
1945年9月13日 | 1981年12月31日 | +7時間30分 |
1982年1月1日 | 現在 | +8時間00分 |
このように現在に至るまで、変更を繰り返しています。
戦前(1905年から1941年の日本占領前まで)
この時期は、シンガポール及びマレーシアはイギリス領になります。当時は、経度に合わせた適当な標準時であるGMT+7を使用していました。また、イギリスのサマータイムの考えもあり、20分、30分変更する施策も取られていました。
日本占領中
第二次世界大戦で、日本が占領中の時期は、日本の時間に合わせられていました。GMT+9になります。ちなみにこの頃だと、朝の8時に日の出、夜の8時に日没となるような感じだと思います。
第二次世界大戦終了後
以前のGMT+7:30に戻ります。
1982年から現在
マレーシアは、東西に大きく伸びている国ですが、東マレーシアの時間を考慮し、GMT+8を使用することにしました。その決定に従う形で、シンガポールもGMT+8を使用することに決定しました。当時のシンガポールは、マレーシアとの経済が活発で、時差があると不便になると考えたようです。
こうした流れを経て、シンガポールはGMT+8を使用することになりました。
その他の所説
また、その他の所説として、香港市場が開く時間に合わせたという話もあります。香港はGMT+8を使用しており、香港よりも市場が開くのが遅れると、その分不利になるという経済的な観点もあるようです。
まとめ
- マレーシアが、東側の時差を考えてGMT+8を採用したとき、流通や経済をマレーシアに頼っていたシンガポールが追従する形でGMT+8を採用した。
ということかと思います。
シンガポールはほとんど赤道直下に位置しています。現在は7時過ぎに日の出、19時過ぎに日没が1年間を通して変わらないので日暮れどきは今が何時か時計を見なくてもわかります。
シンガポールで仕事をしていると、ジャカルタと連絡を取るときになぜかジャカルタの方が時間が遅くて、なんだか不思議な感じがします。
それでも個人的には日本と時差が1時間しかないので、仕事する時間帯がほとんど変わらず助かっているのと、日本にたまに帰るときにも時差ボケすることがないので、体調を崩さなくて済む点で、このままGMT+8で続けて欲しいと思っています。
以上、それではまた次回。