たりさんぽ

元海外駐在員のサラリーマンの雑記

仕事で怒ることが出来る同僚や上司と怒ることが出来ない僕

こんにちは。たりです。

最近思うことがあるのですが、僕は仕事で怒ることが出来ない。むしろ他の人を見てどうしてそんなに感情的になれるのだろうと不思議になってしまいます。先に断っておくと、自分の意見が主張できないわけではないです。自分はこう考えているっていうのは相手の意見と異なっていようと普通に言えます。一種の悩みですね。何が違うんだろうってのを少し考えてみます。

 

怒りの前に次どうするが先に来る

例えば、一緒に仕事をしている人がいて、その人がサボってやらなかったことで納期が遅れそうになった場面があります。その時、「あいつ何やってんだよ。クソが!フザケンナ!」って感情が先に出てくる人と、「結果もう仕方ないから対策何かできないかな?」って考えが先に出てくる人といると思うんです。僕の場合は常に後者になってしまいます。どんなに自分に不利益になったとわかる場面でも被害を向けてきた相手に対して怒ることができない。「不利益になった状況をいかに変えるか」の方ばっかり気がいってしまってしまいます。

起こらなかったことで別にストレスが溜まらない

よく仕事で嫌なことないの?とか仕事でイライラした時どうやって解消しているの?ってのを聞かれますが、特にイライラもないし、ストレスも溜まりません。もちろん休日に仕事のこと考えて憂鬱になることはありますが、基本的に仕事が終わったらその日の大変だったことはだいたい忘れてしまいます。これが良くないのか…

怒れないのは多分3つの理由から

1.自分の意見の自信がない

多分、自分に自信がないからというのが一つの正解なのかなと思います。自分が正しいという自信が持てないから、相手がミスったり、故意に僕に悪意を持って攻撃してきた時も立ち向かって相手を攻撃することができない。

2.相手を攻撃することが怖い

臆病な一面がそうさせているのかもしれません。相手を攻撃して、それでどう返ってくるかを想像して、あるいは相手が傷ついていると想像することで自分が傷つくのが嫌いってことなのかもしれません。

3.怒ったところで何の解決にもならないから

相手が故意に自分を攻撃してきた場合は、今後自分を守る意味でも一度怒っておくという使い方は理解できます(出来ないけど)。でもこれって結構今まで頻度はなくて、どちらかというと相手の不注意や怠慢によることで自分に被害が及ぶことの方が多い。そういった場合に、怠慢にも何か事情があったのかな?とかどうしてどういう考えでそうしたのかといったことに囚われてしまいます。そして怒ったところで何かの解決になるわけではなく、解決策を考えることの方が重要に思えます

怒りは目的を達成する手段?

アドラーの「嫌われる勇気」を読んだことがあります。それによると「人は怒りを捏造する」。つまり、何か自分に目的があって(例えば鬱憤を晴らしたいとか、相手を屈服させたいとか)、それを達成するための手段として感情をコントロールして怒るということらしいのです。

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なので、この本を読んだとき、「別に鬱憤を晴らしたり、相手を屈服させる必要がないなら怒る必要もないんじゃないか」と思ったこともあります。

最後に

Googleで「怒れない」で調べると結構同じ悩みを持っている人いるということがわかりました。でも、ストレスが溜まらなくて、別に怒る必要性がないのであれば、このままでもいいのかなってのも思います。ちなみに怒っている上司や同僚を見る時は「どういう目的で何を守りたくてこの人は怒っているんだろう?」って観察するようにしています。そこで理解できたら一歩でも早い解決に近づくかなと。

皆さんは仕事で怒ることができますか? 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え